紫紅社刊『日本の色の十二ヶ月』「日本茜染の困難さに挑戦」(吉岡幸雄・著)の一部を抜粋して紹介しています。
茜色(あかねいろ)
東京都の西、青梅市にある
これは幅の広い黒い漆塗の平札を茜の広い組糸で威した豪勢な武具で、全体に茜色が目立つ華やかな雰囲気を持った鎧である。これを吉宗は享保十二年 (1727) にわざわざ江戸城へ運ばせて参考にみている。吉宗の茜染めへの強い執着がわかる史実である。
その吉宗の実見から百八十年を経た明治三十年代になってその鎧兜の傷みが激しくなり、修理がおこなわれたのである。
当時、1850年代に発明されたイギリス、ドイツの化学染料が日本に大量に輸入されはじめていた。日本の伝統的な染色である花草樹の実や根を使って染める植物染は衰退の一途をたどって、いわんや、吉宗が再興をねがった困難な日本茜染の技法など伝わっていたはずがない。
その補修にあたってはドイツから輸入された当時では最先端をいく化学染料が用いられたのである。それが画期的な方法と考えられたのであろう。
ところが、それから百年たった現在はどうであろう。補修されずに平安時代の茜で染められたままの糸は、若干退色しているものの、いまなお茜色を呈しているが、化学染料で染められた糸は無残にもはげたようなピンク色になっている。
いくら進んだ化学技術といえども、染色されたしばらくの間は美しい姿を保っているが、それが五百年、千年の年月をへた結果はわからない。私からみれば、天然の染料で染めた糸が必ずしも長くいい色を保つとはいえないだろうが、たとえ退色していってもそれなりの美しさがみられる。化学染料は、ひとたび退色あるいは変化がおきると見るに忍びない色になってしまう危険性があるという証左だ。
より詳しくは、『日本の色の十二ヶ月』吉岡幸雄著 「日本茜染の困難さに挑戦」にてどうぞ。
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